SeeSewの活動について①

【時間のきもの】

先のSeeSewについてという記事にて、概要は説明させてただきました。

が、実はTime Dressとあるように

はじまりはDress(洋服)的なイメージでした。

わたくし自身、婦人服(洋服)のパタンナーとして勤務していますので

ぱっと思いつくのは洋服でした。

着物という発想に至ったのには、いくつかの個人的な体験があります。

 

まず、自分が着物を着て仕事をしていた経験があるということ。

某ホテルの日本料理店で、学生の間アルバイトをしていたのですが

制服が着物でした。

そこでは当然、和室で和食を提供していますので

作法や立ち振る舞いも日本式(というのも不思議ですが)要はトラディショナルなものでしたので

そういったものに敷居を感じていませんでした。

 

次に、洋服を作ることで生じる「残布」に対する抵抗感です。

このサイトでもRe(アールイー)という残布を使用した小物入れなどを紹介していますが

洋服の発想=立体裁断でものを作っていくと、型紙に沿って切り取った後に

たくさんの布が残ってしまいます。

一方、日本の着物は反物を余すところなく使用し、かつ体型に合わせて仕立て直したり

着付けを調整することのできる、ミラクルな衣服なのです。

多くのファッションデザイナーの方が、様々な方法で「一枚の布」への試みを成していますが

着物は伝統の中に在りながら、その最先端だと思います。

 

そして、今年の7月に他界した祖母の存在です。

昨年6月、祖父が設計し生前まで住んでいた家をリフォームして住み始めました。

多くの遺品を整理するなかで、山のような服、そして箪笥いっぱいの着物が出てきました。

大半はもう着られないコンディションではありましたが

中には美しいままの着物や帯が出てきました。

祖母に見てもらおう

ふと思い立って今年のお正月、久々に着物をきて正月を過ごしました。

祖母はその時は既に、わたしのことは思い出せないようでしたが

着物姿の私をみて、本当にうれしそうに話をたくさんしてくれました。

服は記憶だと、痛感しました。

 

同時に、いかに今の日本が、民族衣装である着物で生活しづらいかということも

身を持って感じました。

車、電車、長い階段、背もたれのある椅子…

環境と衣服の関係は密接です。

そして環境は文化をつくり、それを体現する衣服はひとつのメディアです。

いわゆる「日本的」なもの、日本的な身のこなし・所作は

着物から生まれるのだと、あたり前のことに気づかされました。

決して何が善か、という話をしたいのではなく

着物というメディアから離れることで、決定的に何かが失われているのだと思います。

のちのちの話に繋がっていきますが…

衣服が身体を左右するのは、とても衣裳的です。

身体そのものがメディアであるダンサーが、強烈な作用をもつ着物を身に纏うことで

どのような表現がうまれるのだろうか

時間のきものプロジェクトにはそんな試みも含まれています。

 

話を戻すと

Dressが「着物」となった要の理由は

浅見俊哉さんの作品が常に時間と身体性に貫かれているということです。

※浅見さんの作品については、こちらのサイトをご覧ください

時間に切れ目はありません。

着物は12mもある反物をすべて、余すところなく使って仕立てられています。

そのことと、浅見さんの作品のもつ方向性が無理なく一致するように感じ

SeeSewの立ち上がりの企画としてのTime Dressに対して

着物はどうか?

と提案しました。

 

SeeSewを結成する何年も前から

この時の為に様々なものごとが積み重ねられてきたかのような必然性を感じざるをえません。

そして単純なことながら

本当に大切なものは、その人の体感をもってしか

得られないようです。 

写真は、春の反物の制作風景です。

4月4日

中浦和の別所沼公演にて、春のきものに向けて

桜の花の影を直接反物に写し取りました。